2012年04月04日

社会性について

ユニブロマガジン 第20回

2012年 4月2日 発行



フツーのヤツ、マトモなヤツには、理解できないことだろうが、物事の本質は意外なところにある。



物欲

自慢する相手がいなければ、存在できない。

カネもこれと似る。

「俺、稼いでいるんだぜ」などと言ったとして誰もうらやんでくれなければ、カネって、それほど役に立たない。



この本質から、意外な結果が生じる。



女は買い物が(男と比べて)やたら好きだが、それは女の方が交流が多いからだろう。



世間のバカどもは、カネは生活するために必要だと思っている。



だが、そう思った瞬間から、その者はカネの奴隷だ。



俺には知り合いすらいない。

物欲もなければ、カネも必要じゃない。



俺があこがれている科白がある。



新聞で読んだ科白だが、東大の女先生が言った科白だ。

(名前は覚えていない)



カネはあっても困らないが、

なくても困らない。



この科白を最初に聞いたときには、衝撃を受けた・・・



フツーの人間は、カネは生活するために必要だ信じているからだ。





この科白が理解できる人は少なかろう。



カネがあれば自由になれるなどというのは幻想だ。



極論すれば、



あなたが仮に領土を所有しているような立場だったとしてら

(現代日本人には理解しがたいかもしれないが、領土を持っているということは、

土地だけでなく、民も奴隷も持っているのだ)

その領土に縛られていることを意味する。



これが奴隷ということ。



世間のバカどもはほとんどの場合、自分を支えるものを疎ましく感じているものだ。。



だが、これだけではない。



第三者から認められて、はじめて自分自身を確認できるわけではなく、

単独で認められる、確たる自分を持っていなければこの科白ははけない。



さらに、自力で生活できる能力を持っていなければならない。



自力で生活できる能力をカネを稼ぐ能力と不可分だと考えるのはもう止めないか?



自力で生活できる能力は、もっと広範な意味を持つし、生活するために、じつのところ、カネは必須ではない。



そうであって、はじめて、



カネはあっても困らないが、

なくても困らない。



こう言えるのだ。



真の自由は、俺に言わせればフツーの人間に耐えられるようなものではない。



だから、



前記発言は、



真の自由でありながら、



なおかつ、自分を確たる存在として認められるような・・・



言ってみれば、境地だと思うのだ。



それゆえ、俺はあこがれる。








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posted by ユニブロ at 21:30 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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